「油を売る」の語源。何の油?斎藤道三は本当に油を売ったか?
「油を売る」の語源。何の油?斎藤道三は本当に油を売ったか?
「油を売る」という言葉は、怠けている、サボっている、時間を潰している、寄り道をしてなかなか帰ってこない、というあまり良くない意味で使われますよね。
しかし、江戸時代の油売りは油をお客に売りながら怠けていたわけでは無いんです。
確かに、周りの人からは「油売り行商人」は立ち話をして時間を潰しているように見えたのですが、実は誰もが納得する理由があるのです。
今では油と言えば食用油(サラダ油、ごま油、オリーブオイル・・・)を思い浮かべますが、江戸時代の油売りが売っていたのは、菜種油です。
食用ではなく、燈明・行灯に灯す火の燃料や、髪に付ける用の鬢付け油です。
庶民が食用に油を使えるようになるのは江戸時代後半でした。
そして、当時はビンやペットボトルに入っているのではなく、人が桶を担いで量り売りをしていました。
その量り売りの様子が上記の立ち話に見えたのです。
柄杓ですくって器に入れるのですが、最後の一滴まで入れないとお客の損になってお客が離れてしまします。
かといって、水のようにポタポタ落ちる物では無く、いまの油より粘り気がある液体ですから、最後まで落ちるのに時間がかかります。
油が落ちきるまでの間を持たせようと、油売りは世間話でもしてお客に飽きられないようにしていたのです。
それが転じて、仕事をしないで時間を浪費することを油を売るというようになりました。
目次
油売りから成り上がった大名「斎藤道三」の逸話
斎藤道三の客集め術
美濃の蝮と呼ばれた斎藤道三。織田信長の舅にあたります。
有名な話ですが、斎藤道三が油売りをしていた頃、運んできた桶からお客の器に柄杓で油を移す時にあるパフォーマンスをして人気だったというのです。
それは、柄杓から垂れる油の筋を一文銭の中心の穴にツツゥーッと通し、穴から外れたらお代はいらない、無料にするというパフォーマンスでした。
実はコレには中国に元ネタがあった
中国の故事に「油売りの翁(油売翁)」というものがあります。
中国に陳康粛公という弓の名人がいました
彼が弓の練習をしていると、10発中8,9本は的に矢が当たりました。
それを見ていた油売りの翁はただ少し頷くだけ。
陳康粛公は自分を感心しない翁に怒って詰め寄ります。
そうすると、翁は「ただ手が慣れているだけだ」と言い放ちます。
怒っている康粛公を尻目に、おもむろにひょうたんの上に銭を置いて、売っている油を柄杓から銭の穴を通して移してしまいました。
銭には油が付いていません。
そして、この技についても「ただ手が慣れているだけだ」と言いました。
康粛公は笑って許したという話です。
そもそも斎藤道三は油を売っていない
実は、寺の小僧から油売りの商店の娘婿になり土岐家へ仕官したのは、父の長井新左衛門尉で、道三はその後の国盗り物語を行った。
このような親子2代の物語だという説が近年では有力になっています。