火垂るの墓は実話だが真実はもっと悲惨だった。野坂昭如の言葉。

アニメ「火垂るの墓」の清太と節子の兄妹のモデルは、原作者の野坂昭如氏と妹の恵子さんです。
アニメからは想像できない衝撃の告白
野坂氏は後の回想録で、こう語っています。
「自分は、火垂るの墓の清太のようないい兄では無かった。・・・恵子には暴力を振るったり、食べ物を奪ったり・・・」
「泣き止ませるために頭を叩いて脳震盪を起こさせたこともあった」
野坂昭如「私の小説から 火垂るの墓」(朝日新聞 1969年2月27日号に掲載)
野坂昭如「プレイボーイの子守唄」(婦人公論 1967年3月号に掲載)
アニメを見ている限り、清太は妹想いの兄として描かれ、愛くるしくもはかなく亡くなった節子の純朴さと、戦後のすさんだ世間の恐怖が際だっています。
ぼくはせめて、小説「火垂るの墓」にでてくる兄ほどに、妹をかわいがってやればよかったと、今になって、その無残な骨と皮の死にざまを、くやむ気持が強く、小説中の清太に、その想いを託したのだ。
野坂昭如「私の小説から 火垂るの墓」(朝日新聞 1969年2月27日号に掲載)
西宮から福井に移った後に1才6ヵ月で餓死した義妹「恵子」への贖罪の気持ちがこの小説となっています。
真実は小説のように儚く散った命の物語ではなく、リアルな悲惨な戦争の悲劇だったのです。
真実を知ってしまうと、また胸が悲しさでいっぱいになりました。
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アニメと実話の違うところはコレだ
アニメ「火垂るの墓」と野坂昭如氏の実体験とを比べて、脚色されて実話と違うところがあります。 ここに7つの点を挙げて順に説明していきます。- 妹は2人いた
- 妹は1才6ヶ月だった
- 実は妹に食べ物を与えていなかった
- 妹を日常的に叩いていた
- 空襲で両親を亡くしていなかった
- 西宮のおばさんはいい人だった
- 防空壕で生活はしていなかった
妹は2人いた
実は、野坂氏は生まれてすぐに張満谷家に養子に引き取られています。それを知ったのは11歳の時だったそうです。
同じように女の子2人も張満谷家に養女に入っていました。
野坂氏とは血の繋がらない妹です。
このうち年長の妹は、戦争前の比較的裕福な間に病気で亡くしていますので、火垂るの墓の時代には妹は1人しかいなかったというのは正しいですが、厳密には2人の妹のうちの1人ということになります。
妹は1才6ヶ月だった
義妹「恵子」が栄養失調で亡くなったのは、野坂少年が14才、恵子1才6ヶ月の時でした。
小説では節子は5才という設定にしています。
しゃべれない赤ちゃんでは、話の進行が進めづらいというので、会話が出来る年齢になっています。
ケンカをしたり、一緒に遊んだり、兄に甘えたり、といった無邪気な姿と、衰弱して亡くなる姿の対比がストーリーの見せ方のキモの部分です。
アニメでは、たどたどしく「あんちゃん・・・」と呼ぶ声に涙があふれるのですが、実際は話は出来ない年齢でした。
実は妹に食べ物を与えていなかった
戦後の食糧難の時代だったので、2人満足に食べ物を得ることはできませんでした。
14才の少年は生きる為に、1才の妹には少しの食料を与え、自分の分を確保していたといいます。
例えば、雑炊・おかゆを焚いた時、自分は鍋の底からスプーンですくって米粒を取り、妹には上澄み液をすくって飲ませていたと告白しています。
今で言うと、おも湯なので、1才少しの赤ちゃんにはあり得る話ですが、時代を考えると量が絶対的に少なかったと想像出来ます。
また、衰弱していく妹を尻目に自分だけ食べ、最後には妹の太ももにさえ食欲を感じたと「わが桎梏の碑」で告白しています。
また、恵子のための粉ミルクも空腹に耐えきれずに飲んでしまったそうです。
その時代は日本中似た様な有様でしたが、野坂氏は後々までそれを悔やんでいたといいます。
小説を発表した後も、主人公の兄を実際と違う妹思いの兄にしてしまったことも、加えて2重の苦しみだったと回想しています。
妹を日常的に叩いていた
アニメでは、節子をおんぶしたり、世話をする良い兄になっていますが、実際はそれほど育児をまともにしていなかったようです。
ろくに食べ物も与えられなかった1才の赤ちゃんはよく夜泣きをしました。
14才の野坂少年は、自分の空腹もあり、夜泣きする赤ちゃんを叩いたり、揺すったりと手荒なことをして泣き止まそうとしていました。
時には脳しんとうを起こすこともあったそうです。
ひどい話です。
生活が苦しくなると、そのはけ口として妹に当たって暴力をふるっていました。
まだ大人になっていない年齢ですから、自分の気持ちを抑えることが出来なかったようです。
まさに現代のニュースに取り上げられる虐待する親のようでした。
空襲で両親を亡くしていなかった
先に書きましたが、野坂氏は養子でした。
神戸の空襲の時には既に養子だったことは知っていました。
実の母親は亡くなっていましたが、実の父親はまだ生きていました。
小説に出てくるのは育ての両親ですが、養父は空襲で行方不明になってしまいましたが、養母は大けがをしたものの亡くなってはいませんでした。
一緒に暮らしていた義祖母も健在でした。
西宮のおばさんはいい人だった
アニメでは、自分の子供にはご飯を与え、清太たちには雑炊と、差別をしている意地悪い親戚と描かれていますが、実際は子供2人とその養母とそのまた母を引き取って生活の面倒をみてくれていました。
アニメをよく見ると描かれているのですが、大人は雑炊を食べているのが確認出来ます。
清太だけに意地悪をしているのではありませんでした。
この時代は家に置いてくれるだけでありがたいと思わなければいけない時代なのかもしれません。
西宮でのひどい話として、野坂氏はおばさんの家にいた2才年上の三女「京子」に恋心を抱き夢中になって、妹の世話をろくにしていなかったという裏話もあります。
防空壕で生活はしていなかった
上記の様におばさんが面倒を見てくれていたので、野坂氏本人は実際は防空壕で孤立した生活を送っていた訳ではありませんでした。
手塚治虫「ぼくはマンガ家」(角川文庫)を見ても、その頃は路上生活も当たり前、例えば、大阪駅前には餓死した子供の遺体が転がっている光景が普通に見られた様子が描かれています。
その様な時代背景を踏まえての設定だったといえます。
では、アニメと実話の同じところはあるのか?
全てがフィクションという訳ではありません。
現実のことも小説に盛り込まれています。
- ドロップ缶に遺骨を入れたのは本当
- 蚊帳の中で蛍を放したのは本当
ドロップ缶に遺骨を入れたのは本当
妹恵子が1才6ヶ月で亡くなって、火葬した後の遺骨は、ドロップの空き缶に入れたと野坂氏本人が証言しています。
アニメでは象徴的に描かれる、「サクマのドロップス」
節子の最後の食料として丁寧に描かれています。
妹を亡くした野坂氏は、妹を自分で火葬にしたそうですが、火力の具合が分からずにほんの少しの骨しか残らなかったそうです。
その残った遺骨をドロップスの缶に入れていました。
小説では儚くも軽い命として印象的に描かれています。
蚊帳の中で蛍を放したのは本当
題名にもある蛍。
はかなくきれいな命の象徴として例えられる昆虫ですが、妹を喜ばせる為に、蚊帳の中で蛍を放して見せてあげた話は実話だそうです。
火垂るの墓の物語は、実はまだ終わっていなかった。映画のシーンから読み解く。火垂るの墓の物語は、実はまだ終わっていなかった。映画のシーンから読み解く。
泣けるアニメナンバー1
火垂るの墓 [DVD]
以前テレビ番組でやってた企画ですが、「外国人がアニメ『火垂るの墓』を見て泣くのか?」という疑問に、各国の人を集めてアニメ「火垂るの墓」を観てもらって、その様子を観察するというものでした。
結果は、どの国の人もほとんど涙を流して見ていました。
やっぱり涙なくしては見られないアニメでした。
戦争の悲惨さや幼い子供が亡くなる理不尽さは、どの国の人の心にも重いメッセージとして刺さる話だということです。
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宮崎駿監督が指摘した火垂るの墓のウソ
高畑勲監督と同じジブリの宮崎駿監督は、火垂るの墓を見てこう言ったといいます。
『火垂るの墓』の主人公である清太の父親は海軍大佐(アニメ版)だった。
稲葉振一郎著『ナウシカ読解 ユートピアの臨海』
巡洋艦の艦長の息子は絶対に飢え死にしない。
それは戦争の本質をごまかしている。
それは野坂昭如が飢え死にしなかったように、絶対飢え死にしない。
海軍士官の息子なので、父親が戦死したとして相当な額の補償金が入り保護もあったはずです。
しかも7,000円というお金を持ち(当時)病院で節子を見ることも出来ていた。
これに高畑勲監督はこう答えます。
「周囲の人々との共生を拒絶して社会生活に失敗していく姿は現代を生きる人々にも通じるものである」
「特に高校生から20代の若い世代に共感してもらいたい」
「反戦アニメなどでは全くない、そのようなメッセージは一切含まれていない」
『スタジオジブリ作品関連資料集II』スタジオジブリ
火垂るの墓の真実のテーマを高畑勲監督はこう語る
宮崎監督とのやりとりにあるように、火垂るの墓の悲劇は戦争によるものではありませんでした。
自分たちだけで生きているのではない、「社会と関わりを拒絶して生きる清太は悲惨な最期を遂げる」というメッセージだそうです。
アニメの冒頭で「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」と清太が独白しています。
アニメは死んだ清太と節子が幽霊となって過去を追体験ループしている物語になっています。
これについて高畑監督はこう言っています。
「清太と節子の幽霊を登場させているが、この幽霊たちはこの体験を繰り返している」
この記事の各出典はWikipedia脚注参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/火垂るの墓
「火垂るの墓」は実話を元に書かれた小説
実父は戦後に新潟県副知事を務めた野坂相如氏ですが、誕生直前に野坂昭如氏は生後半年で張満谷(はりまや)家に養子に入りました。
なぜかというと、実父と実母は別居していて、野坂氏を産んで実母はすぐに亡くなってしまいました。
それで、生後半年で引き取られた訳です。
自分が養子だと知ったのは11歳の時でした、それは偶然戸籍を見たことで分かったそうです。
張満谷家には同じように2人の血の繋がらない妹がいました。
最初は、上の妹はそれなりに愛情を与えてかわいがっていましたが、残念ながら病気で早くに亡くしてしまいす。
そうするうちに戦争が始まり、生活に余裕が無くなると下の妹の世話もしなくなってきます。
そして、ついには栄養失調で1才6ヶ月で亡くなりました。
野坂氏はその懺悔の意味を込めて小説火垂るの墓を執筆しましたが、実話を元に書いたといって主人公の兄を美化して書いてしまったことが、後に野坂氏を苦しめる事となります。
文庫本は以下の「アメリカひじき」に収録されていますので、ぜひ原作をお読み頂きたいです。
アメリカひじき・火垂るの墓 (新潮文庫)
野坂昭如氏の強烈キャラクターの逸話

生前、映画監督の大島渚氏とのバトルがワイドショーでよく騒がれていました。
お互いパンチを繰り出し、周りが慌てて止めに入った映像ですね。
スポーツニッポンによると、この後、お互いが手紙で謝罪をして和解していたということです。
1990年10月23日、映画監督大島渚の真珠婚式パーティーで挨拶を行う予定であったが、野坂が帰ったと勘違いした大島が野坂の順番を飛ばして進行したために、当初の予定より出番が大幅に遅れてしまい、その間に大量に飲酒し酩酊してしまった。ようやく登壇し祝辞を終えると同時に、左後ろで野坂の挨拶を聞いていた大島の眼鏡が吹っ飛ぶほどのパンチを食らわすが、大島も負けじとマイクで野坂の顔面を2発殴った。後に大島が野坂に謝罪の手紙を書き、野坂も謝罪して和解した。また野坂も大島へ謝罪文を送り、大島の妻である小山明子にはお詫びの品としてブラウスを贈った。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%9D%82%E6%98%AD%E5%A6%82
テレビでは、いつも酒を飲んで乱暴なイメージがありますが、実際、酒乱だったそうです。
「おもちゃのチャチャチャ」の作詞
一方、童謡「おもちゃのチャチャチャ」の作詞者としても有名です。
そもそも「アメリカひじき/火垂るの墓」で直木賞を受賞しているほどの作家ですから、文学的な素養はお持ちなのでしょう。
しかし、よく見ると「吉岡治(補作詞)」とあります。
吉岡治氏とは一体どういう人物でしょうか?
野坂氏より4才年下で、放送作家をしていたというのが共通点です。
童謡詩人・サトウハチローに師事して修業を重ね、放送作家をしながら詩を書き溜めていった。
https://www2.nhk.or.jp/archives/jinbutsu/detail.cgi?das_id=D0016010434_00000
28歳の時、童謡「おもちゃのチャチャチャ」がヒット。
童謡から流行歌に転じたのは昭和40年31歳の時だった。
最初のうちは「悦楽のブルース」や「八月の濡れた砂」など映画の主題歌。
「真赤な太陽」や「真夜中のギター」などポップスで名が知られるようになった。
しかし吉岡が目指したのは人生の哀歓を歌い上げる演歌だった。
挑戦するものの中々ヒットは生まれなかった。
長いスランプを経て昭和55年、ミリオンセラー「大阪しぐれ」が誕生する。
日本作詩大賞を受賞したこの歌をきっかけに歌作りの奥義を掴んだ吉岡は「さざんかの宿」「命くれない」「天城越え」と、ヒット曲を次々と生み出していくことになる。
美空ひばりさんの「真っ赤な太陽」や石川さゆりさんの「天城越え」や瀬川瑛子さんの「命くれない」の作詞のほかに。アニメ「キャプテン翼」のオープニング曲「燃えてヒーロー」も作詞しています。
歌謡曲・演歌・アニメ主題歌と引き出しの多い作詞家さんで、サトウハチロー氏に師事していたということを考えると、補作詞の作業があっての「おもちゃのチャチャチャ」であったと私は想像します。
火垂るの墓の物語は、実はまだ終わっていなかった。映画のシーンから読み解く。火垂るの墓の物語は、実はまだ終わっていなかった。映画のシーンから読み解く。
もしも節子が死ななかったらという小説
実は、火垂るの墓と同様の世界で、妹が生きていたという設定の小説があります。
文庫本「アメリカひじき/火垂るの墓」に収録されている「アメリカひじき」です。
アメリカひじき・火垂るの墓 (新潮文庫)
この作品の主人公「俊夫」(火垂るの墓の清太に相当)は、昭和42年・36才で、TVCMフィルム制作のプロダクションを主宰している人物です。
戦死した父親の代わりに母・妹(火垂るの墓の節子に相当)を養うために中学修了後から働きました。
現在は妻と息子と三人暮らし。
ハワイ旅行で知り合ったアメリカ人のヒギンズ夫妻を通じて、終戦当時の思い出やアメリカへの複雑な心境を、野坂氏特有の大阪弁口調で吐露するという作品です。
この本「アメリカひじき/火垂るの墓」は第58回直木賞を受賞しています。
「アメリカひじき」とは、紅茶の茶葉のことです。
戦後、アメリカ人からの救援物資で「紅茶の茶葉」が配給になった時に、紅茶を知らない日本人は「これを貰ったけど、どうやって食べたら良いのか?」となりました。
そこで、あるおばちゃんが「アメリカのひじきやないか?」と言いだし、煮物にしたそうです。
しかし、何回煮ても茶色い水が出てとてもじゃないがおいしく食べられない。
「アメリカひじきはアクが強くてかなわん」といったオチがつきます。
「アメリカひじき/火垂るの墓」直木賞の選評
「アメリカひじき/火垂るの墓」が直木賞を受賞したときの評価です。
両作品とも評価が高く、とりわけ「火垂るの墓」の評価が高いことが選考委員の選評からうかがえます。
以下に引用しますのでご覧ください。
海音寺潮五郎は、「大坂ことばの長所を利用しての冗舌は、縦横無尽のようでいながら、無駄なおしゃべりは少しもない。十分な計算がある。見事というほかはない」と評し、「前者(アメリカひじき)に使われている材料はぼくの好みではないが、描写に少しもいやしさがなく、突飛な効果が笑いをさそう。感心した」「後者(火垂るの墓)の結末は明治調すぎて、古めかしすぎて乗って行けなかったが、自伝的なものがありそうだから、こうせざるを得なかったのであろう」と述べている。
川口松太郎は、「直木賞作家の本命とはいい難く、君の技量は逆手だ。文章のアヤの面白さに興味があって事件人物の描写説得は二の次になっている」とし、「野坂君が独特の文体の上に、豊かな内容をもり込む作家になってくれたらそれこそ鬼に金棒だ」と助言をしている。
大佛次郎は、「この装飾の多い文体で、裸の現実を襞深くつつんで、むごたらしさや、いやらしいものから決して目を背向けていない」と述べ、「作りごとでない力が、底に横たわって手強い。この作家の将来が楽しみである」と評している。
石坂洋次郎は、「こう短くきれぎれに書かないで、この題材で長篇を書かれたら――と残念に思った」、「ともかく多才の人であり、底に手ごたえのあるものを感じさせる作家だ」と評している。
中山義秀は、「文芸作品はつねに時代を、最も敏感に反映する、とされているとおり、(中略)異色ある文体に、シニカルな老練さを味わった」と評している。
村上元三は、「『火垂るの墓』よりも、『アメリカひじき』のほうがわたしには面白かった。はじめは取っつきにくく、気障なとまで思った文章も、こうなると芸のうちであろう」と評価している。
水上勉は、「出来がよく、野坂氏の怨念も夢もふんだんに詰めこまれて、しかも好短篇の結構を踏み、完全である。感動させられた」と述べている。
松本清張は、「私の好みとしては『アメリカひじき』よりも『火垂るの墓』をとりたい。だが、野坂氏独特の粘こい、しかも無駄のない饒舌体の文章は現在を捉えるときに最も特徴を発揮するように思う」と評している。
柴田錬三郎は、「さまざまの話題をマスコミにまきちらし乍ら、とにもかくにも、文壇へふみ込んで来たその雑草的な強さは、敬服にあたいする。私は、『火垂るの墓』に感動した。劇作者的文章が、悲惨な少年少女の最後を描いて、効果をあげたことは、われわれ実作者に深く考えさせるところがあった」と高い評価をしている。
「第58回直木賞(昭和42年度下半期)選評」(オール讀物 1968年4月号に掲載)
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