火垂るの墓の物語は、実はまだ終わっていなかった。映画のシーンから読み解く。

アニメ「火垂るの墓」の清太と節子は成仏することなく、今でも三宮や神戸にいることが映画で描かれています。

そうです。アニメ版「火垂るの墓」の物語はまだ終わっていなかったんです。
おそらく永遠に終わらない業なのでしょう。

オープニングとエンディングに出てくる「火垂るの墓」の清太と節子の幽霊





映画のオープニングとエンディングに清太と節子の幽霊が登場しています。

よく見ると背景が戦後ではなく現代の街の風景になっているんです。

それが何を表しているかというと、戦後から現代まで(おそらく現在も)清太と節子の霊は悲惨の戦争の最後3ヵ月を、何百回も何千回も追体験しても成仏できないということです。

オープニングの背景は現代の三宮駅

背景に現代の景色を入れることによって、清太と節子の霊は現代になってもまだこの世を彷徨っていることを示唆しています。

でも、オープニングでは一瞬で過ぎてしまうので、余程の人で無いと気がつかないでしょう。

その場面をこれから詳しく説明しますので、次からよく目を凝らして見て下さい。

有名なオープニングで清太が言う言葉

「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」

まず前提として、この物語の語り部は清太の幽霊です。

映画の流れでは、映像は三宮の駅に座っている清太に切り替わります。
この時はまだハァハァと息をしていますが、やがてこときれて倒れてしまいます。

そうして死んだ清太の元へ駅員がやって来て清太が死んだことを確認します。

「ああ、こいつも死んでしもうた」と、駅員は淡々と遺品を探りポケットの中から缶を見つけます。
節子の遺骨を入れたドロップの缶です。

駅員はそれが何かわからないので、ゴミのようにそれをポイと捨てると、捨てられた缶の中から骨が出てきて、季節外れの蛍がポワッと現れます。

その蛍の中から節子の幽霊が現れて清太の死体に駆け寄ろうとしますが、後ろから肩を叩かれて止められます。
振り返ると、そこには幽霊になっているもう一人の清太がいて、2人はそのまま手を繋いで、まるで生きていた頃のように仲良く歩き去っていきます。

そして物語は始まります。

この駅の場面をよく見ると、駅の柱の手前に戦後の頃には無かったデザインの灰皿が置かれているんです。

「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」と清太が言った直後のカットです。

そして、この灰皿がボワーっと消えて死にかけている清太が現れて次のカットへ繋がります。

一瞬で見逃す人が多いですが、録画していたらよく見て下さい。

岡田斗司夫さんもこう言っています。

「本当にそうなのかな?」と思って、念のために『火垂るの墓』のBlue-rayのディスクの特典を見たら、ちゃんと制作当時に神戸まで行って撮ってきたロケハン写真というのが載っていたんですよね。

そのロケハン写真をみると、1987年の三宮駅の柱の横に、まったく同じデザインの灰皿があったんですよ。

このロケハン写真を見てもわかる通り、『火垂るの墓』の冒頭では、現代の駅にある灰皿を描くというようなことをやっているんです。つまり、『火垂るの墓』というのは、決して過去の話ではなく、現代のシーンから始まっているということなんです。
引用:https://originalnews.nico/94631

エンディングに出る神戸の夜景

オープニングと違って、エンディングは分かりやすく描かれています。

この意味が分かった人がみると、「ああ、そうだったのか」となるわけです。

映画ではラストシーンはこの様になっています。

清太が節子を荼毘に付していると、清太の服装がランニングシャツから、ドロップ缶を持った学生服姿に変わります。

前方から節子が駆け寄りの一緒にベンチに座ります。

持っていたドロップ缶を節子に渡し、節子は嬉しそうにドロップ缶を振り、兄弟見つめ合います。

やがて眠くなった節子が清太の膝の上で寝てしまうと、カメラは清太の後方からの映像に切り替わり、清太が座る丘の上からは現代の神戸のビル群の夜景が見えます。

そしてスタッフロールが流れます。

ラストのカットは神戸のビル群の夜景を眺める清太の姿です。

戦後から現在まで、成仏すること無くこの世を彷徨っていると思うと、「火垂るの墓」を見た時にもっと悲しくなりますね。

火垂るの墓の内容と、野坂昭如の実体験による実話についてはこちらの記事へ
火垂るの墓は実話だが真実はもっと悲惨だった。野坂昭如の言葉。

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